自分も小さい頃から太っていてこのまま年取って死ぬもんだと思っていた。
思えば10歳位から太り始め太っているといじられることが普通になりその中でどうやって生きていこうかと言うふうに考えたときにお笑いとして笑ってもらえると言うような立ち位置でしか生きていくことができなかった。
今でこそそれなりに1人の人間として見られるがそれは成熟した大人同士のやりとりだからその状態でいられるといえます。
本当ならばもっと若い時にいろいろ主張したり自分の音を伝えたかったりもしくは気に入った女性とデートをしたりとかって言う風な子のきっかけを作ると言うようなことのために本当はシュッドしたようなスタイルであればよかったなぁと思う。
ただ今現在は普通に家族もいて息子たちもいて子供たちもいてそれなりに幸せなのでこの生き方自体を否定すると言う事は、今いる家族がいるこの空間を否定することになりそうでちょっと悩んでおります。
その中で自分が思った事と言うのはやはり太っていて良いと言う事はあまりないなと言うこと。
なぜならば何かを買う身に付けるものを買うって言うふうに自らを飾り作るもの洋服ファッションといったものがあらゆる年代において劣っているとおしゃれな姿やいろんなものを購入することができない。
なぜならばいろんな
ファッションのドア寄せていて主とした姿と言うことが大前提となっているようなものが多い。
それはやはりそういうスタイルの人の方が多いと言う事からそういうことが言えると思う。
ある意味仕方ないのかなと思っていた。
。こんな私が、まさかの体を鍛えようと思う事ができた。
それは何かと言うと息子夫婦に、子供ができて自分はおじいちゃんと言う立場になった。
その時にふとおじいちゃんとなった人をSNSやネットなどで調べたりすると、ザおじいちゃんみたいな感じの人ばっかりの画像として出てくる。
今までこういう素振りや考え方とかを全くしていなかったのに急にこういうザおじいちゃんみたいな感じで歳をとっていくと言うことに対して猛烈な抵抗感が芽生えてしまった。
なぜならば生まれてきた孫にかっこいいおじいちゃんて言うふうに思われたいと言う気持ちが芽生えてきたからだ。
40代も後半ではあるが子供が言葉をしゃべるようになるまであと3 4年位かなぁとは思ったりはしているがそれまでに自分の体を鍛えて心を鍛えてそして誰からでもかっこいいおじいちゃんだねって言われるような自分になりたいなぁと思ってきた。
そのためには今通っている会社の帰りなどに電車でちょっと切り替えていけばいけるようなジムしかもあんまり目立たないようなジムがいいなと思う。
目立たないっていうのは別に悪い意味じゃなくていろんな人が大多数集まるみたいな所ではちょっと心が折れそうな気がするのでできれば専属のトレーナーさんに話ができて10,000ズームでやりとりができてあまり他の人の子が輝美に入らない、
もしくは他の人から私の姿が見えないみたいな感覚位の自分を探してみた。